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ザ・ノンフィクション③~37歳、人生で一番熱い夏~

こちらの記事の続き、その③です。

ザ・ノンフィクション~37歳、人生で一番熱い夏~ - 失敗するから人生おもろい

ザ・ノンフィクション②~37歳、人生で一番熱い夏~ - 失敗するから人生おもろい

 

ポンコツをさらして楽になったところ、個人事業の依頼が多くなり、わずか1か月半でバイトを辞めることになった。とにかく迷惑をかけまくった記憶しかないが、辞めることが分かるとなんと先輩から引き留めがあった。さすがに驚いた。いやいや、先輩、正気になってよく考えてくださいよ。超戦力外で足引っ張ってたじゃないですか、そうお伝えすると

 

「なんていうか…癒し?人柄??いてくれるとすっごい和む」

 

 

キャラだけで居場所あるってすごくない?

全国のポンコツさんは、早く頑張るのやめてゆるキャラに転向し、愛されて必要とされる道を選ぶといいよと思った瞬間であった。生存戦略は賢く、正しく使った方がいい。

 

そして私はバイトを終えた4日後に、新しいレンズを抱えて撮影に向かった。もう9月が終わろうとしていた。

 

 

そもそも論

約1年前の話だが、当時はバイトをしていたことがさすがに恥ずかしくて、誰にも言っていなかった。バイトを辞めて、しばらく経ってから近しい友人に少しずつお話をしていった。その中で一人の友人がこう切り出した。

 

「そもそもさ、なんでその仕事引き受けたの?その撮影料だって通常料金なんでしょ?だとしたら意味が分からない。断っていればわざわざバイトに行くこともなかったし、ポンコツさらしてそんな苦しい思いをしなくてもよかったわけじゃん。メリットが少なすぎる。わたしならやらない」

 

ごもっともです。普通そうだと思います。

 

わたしもなんで引き受けたのか、このブログを書くまでずっと謎だったんですよ。そもそも、技術的にも、装備的にもどう考えてもわたしの手に余る案件であったのは事実なんですね。

 

よくチャンスはいつも準備不足、力量不足の状態で来ます。だからすべて断らずに受けましょうね、準備が出来てから、力が備わってからと、せっかく来たチャンスを断っていては、いつまでたってもチャンスは来ないですから。

 

みたいな話って巷に溢れていますよね。そういう自己啓発に乗っかっちゃったのかなぁとかも思ったのですが、なんだか釈然としない。そこまで私は写真に思い入れがありませんでしたから、「いい写真」を被写体に届けることが全てだと思っていたんですよ。それが例え撮影者がわたしではなくてもいいから、「この人を最高に写すにはどうしたらいいか」だけをいつも考えていました。

 

わたしにしか撮れないなと思ったら引き受けるし、この人私じゃない方がもっと素敵に撮ってもらえるなと思ったら、どんなオファーでもお断りして別のカメラマンさんにバンバン仕事を流していました。

 

賛否両論あると思います。それは逃げだろ。プロならすべてのオファーに責任もって挑めよ。そう思われる方も多いと思います。でも私の大目的は「その人にとって一番いいこと」で、わたしというカメラマンはその「一番いいこと」を実現するためのツールのひとつにすぎないという考えが何故か根強くあったので、ツール(撮影者)は誰でもいいと本気で思っていたし、今も思っています。

 

ひとえに、そこまでカメラに賭ける情熱やプライドがなかったのだと思います。

 

だから今回のこの件も、いつもだったら秒で断ったと思います。技術も機材も足りないのに、わたしが撮影する意味がないよね?どうせクライアントはお金を払うなら、確実に結果を出すカメラマンの方がいいじゃん?そんな考えは何度も逡巡しましたし、こうして1年近く経過した今も、果たしてあのオファーを受けたことがクライアントにとって良かったことなのか、わたしには判断がつきません。わたしが断っていれば、違う未来もあったかも知れない。そんな考えが頭をよぎります。

 

いつもだったら秒で断る案件を、なぜ受けたのか。

それはたぶん、この案件を紹介してくださった方との関係性だと思います。

 

恩返しとかそういうのじゃない

 

この案件を紹介してくださった方、仮に鈴木さんとしておきましょう。鈴木さんは私が独立する前からお付き合いがあり、まだまだ駆け出しの私に、折に触れて撮影依頼をしてくださいました。それだけではなく、ほかの方を紹介してくださったり、色々なご縁を「気が合うと思うから会ってみてー!」と紡いでくださったりした方です。

 

もちろん、鈴木さんに限らずたくさんの方のお世話になって今の自分があります。色々な方が、色々気をかけてくださり、世話を焼いてくださった。恩は四方八方にあり、どの方位にも足を向けて眠られないくらい、お世話になった方がたくさんいます。

 

では、もし今回のような案件を鈴木さん以外の恩ある方に仲介頂き、ご紹介いただいたとしたら、わたしはその仕事をしたのかというと、しなかったと思います。

 

秒で断ったと思います。

ていうか、断ってきました。

 

じゃあ、どうして鈴木さんだけ?と自分でもずっと謎でしたが、このブログを書き始めてから、ああそうだと思うことが一つありました。

 

それは、「喜び」をたくさんくれたのは鈴木さんだけだったからです。

 

鈴木さんはどんな時も私を「友人」として扱ってくれました。ずっと横の関係を貫いて大切に、尊重して扱ってくれたからです。

 

お仕事を頂く立場と、それを紹介する人の立場のパワーバランスというものはどうしたって存在すると思います。やっぱりどこかで頭が上がらなくて、わたしはいつもペコペコしていたし、そういう態度をわたしが取るからだと思います。やっぱり少し「業者」として軽く都合よく扱われていることも多かった。

 

仕事だからしょうがない。そう思ってみても、どこかで魂が削られる思いがありました。

 

その中で鈴木さんはいつも「横」の関係でいてくれました。誰かに私を紹介する時も「カメラマンの中澤さん」と言わず「わたしの友人で信頼するカメラマンの中澤さん」そうやって丁寧に扱ってくれました。

 

出会った頃の鈴木さんは既に新進気鋭の起業家でしたが、年々活動を拡大し、会社を設立し、行政と連携するなど、そのご活躍は目を見張るほどです。そういう人なのに偉ぶるところが少しもない。常に横。いつも丁寧。こんな零細フリーランサーにも態度を変えることなく、会えば近況を聞いてくれて、どんな状況でも受け止めて、励ましたり、叱ったりするわけでもなく、常に「現状」を認めてくれました。

 

 

いいじゃん、いいじゃん

好きに生きていいんだよ

どうせ何したって存在してるだけで

人の役に立っちゃうんだからさー

 

嬉しかった。「業者」でも「職業」として扱うでもなく、常にひとりの人としてわたしを大事に扱ってくれたのが、やっぱりすごく嬉しかったんだと思います。

 

車で迎えに来てくれたと思ったら、自分が酒を飲みたくなったから、途中で私に運転を丸投げしたり、「ねえこれ見て」と言われたから近寄ったら「なに見てんだよ」と理不尽にキレられたり

 

めっちゃ傍若無人で、わがままで、豪快で忘れっぽくて、でもそういうのを全部吹っ飛ばすくらい面白くて優しすぎるくらい優しい人です。

 

鈴木さんからもらったものって同じ時間を共有する「喜び」であったし、出会えた「喜び」でもあった。とにかくその「喜び」がわたしの中ではとても大きかったのだと思います。

 

だから引き受けた。無理をしたって返せないほどの喜びをこれでもか!というほど前払いで頂いているんですよ。とはいえ、技術と機材の不足は否めないから、せめてその不足を最小限にするために出来ることは全部する。そういう選択を自然としたから、バイトにも行ったんだと思います。

 

 

何度も言うけど、他の人だったら秒で断る。絶対にやらない、なんでやらにゃあかんねん。だから別に誠実でも美談でもなんでもないんですよ。わたしは人を選んで仕事をしただけだです。すべてにいい顔が出来るほど要領よくないですからね。

 

 

とはいえ、鈴木さんにはこのブログで公表するまで、バイトのことは一切言えませんでした。「撮影にそなえてレンズ奮発したぜ!」「まじかー!」くらいのやり取りしかしていませんでした。

 

優しい人なので、自分がオファーしたことでわたしがそこまでしたと知れば、何も思うことがない訳がないし、それに私もダサいところは見せたくなかった。

 

負い目に感じたりはしないで欲しいんだよなぁと思って、このブログを書くにあたり一瞬悩みましたが、一瞬で書く決断をしました。

 

たぶん、鈴木さんは「ごめんね」なんてそんな高慢なことは言わない。わたしが自分の判断で引き受け、行動したことに対して「すべて中澤の責任」として尊重してくれる人だろう思ったからです。

 

人それぞれだとは思いますが、私は私に起きた感情や決断は「すべて私のもの」だと思っているので、誰かから例えば「辛い思いをさせてごめんね」とか言われると「はあ?」とか思ってしまうんですよ。

 

辛いと感じたのはそれを辛いこととして「受け取った」「わたし」の選択であり、反応だから。「誰か」にそうされたわけじゃ無くて「自分がそう感じた」だけだから。

 

何人たりとも本当には、人の受け取り方や感情なんてコントロールできないですから、鈴木さんはそういうところをよく分かってるから大丈夫だろうと思って書きました。(そして大丈夫でした)

 

あのオファーを受けたからこそ、私はバイトを通じて自分のプライドをどんどん破ることが出来たし、素晴らしい先輩のもと働く経験が出来たし、あの絶望を味わえたからこそ、自分の「生きる力」を確かめられたし、撮影にも行けて素晴らしい体験と、知らなかった世界を見せて頂けて、おまけにもう元取れなくてもいいやと思って買ったレンズ代は翌月には回収できて、利益を出すことが出来て、カメラ事業もプラス業績のままクローズ出来て…

 

結果の良し悪しは今も分かりません。

いい写真が撮れて貢献できたとも言い難い。

あの時は苦しかったけど

今振り返るとめっちゃ面白かった。

もう戻りたくはないけど

全然退屈じゃなかった。

 

独立していなければ、こんな苦労もしなかったけど、こんな苦労も味わえずにいたんだよなぁと思うと、やっぱり感情のアップダウンが激しいけど独立してみてよかったなぁと今は思う。過ぎてしまえばだいたい面白いから。

 

 

1年経って、38歳の夏である。

今年は今年でカメラもやっていないし、事業も相変わらずだ。

厳しい状況には変わりないのだけど、なぜか安心している自分がいる。

 

大丈夫、死にはしないし

わたしもそんなに弱くない。

 

今年はどんな夏になるのだろう。

ちょっと穏やかにすごしたい。

今から楽しみである。

 

おわり。